Photo from http://www.billlawrence.com/
ピックアップデザイナーとして世界的に著名な Bill Lawrence 氏が亡くなりました。享年82歳。公式サイトのトップに奥様によるメッセージが掲載されていますのでご紹介します。
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2013年11月2日の午前9時20分頃、私達の深い悲しみとともにビル・ローレンスがこの世を去りました。
ビルは強く勇敢で、この世を去る数日前まで生きようと戦っていました。また彼は音楽、ピックアップ、ギター、そして人生について話していました。私達はこれからも働き続けます。そして彼の残した会社と遺産は、これからも生き続けます。
私達は彼の驚異的な強さを失ったことを悲しむでしょう。彼は多くのものを生み出し、またこの地球に貢献し続けたいと願っていました。
昨日は後継者の指名のために必要な書類の準備をしました。ビル・ローレンスの名誉と希望の下、我々人類はひとつです。
葬儀は2013年11月8日(金)の午後3時に、カリフォルニア州オレンジカウンティのFairhaven Memorial Park にて執り行います。
Love, Becky
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続けて公式サイトのバイオグラフィの抄訳を掲載します。
ビル・ローレンス、本名Willi Lorenz Stich は、1931年3月24日にドイツのケルンで誕生。
10代の頃、自作のロケットプロペラ付き自転車で負傷したことをきっかけに、演奏する楽器をヴァイオリンからギターに変更。
そのプレイのあまりの速さに『ホット・ビル』と呼ばれるほどの技術を身につけます。また17歳の頃にはすでにピックアップを自作していました。
1950年代に入ると、欧州の米軍基地でハンク・ウィリアムズやサム・クックといったスーパースターと同じステージに立ち、ギタリストとしての名を高めます。
その結果、ドイツのギターメーカーであるFramus Guitars とエンドース契約を結び、同社初のシグネチャーモデルが発売されることとなりました。
その後プロギタリスト『Bill Lawrence』として知られるようになったWilli は、1960年代初頭、ついに愛して止まないフェンダーとエンドース契約を結ぶに至ります。
また1960年代中盤には、2人の仲間とともにLawrence Electro Sounds 社を設立。ドイツのギターメーカー向けにエレキギター用ピックアップの製造を開始します。
さらに1960年代後半には、アメリカに移住してエレクトリック・ピアノを開発し、スティービー・ワンダーやマイルス・デイビスが使用するなど成功を収めます。
その頃の実習生には、DiMarzio の創業者ラリー・ディマジオや、当時10代の子供だったケント・アームストロングがいました。
(著者:ケント・アームストロングの父は、アンペグが販売したプレキシガラス製ギターの開発者であり、製品名でもあるダン・アームストロング。当時ビルとダンはともにグリニッジ・ビレッジ在住で、このギターのピックアップはビルが製作しました。)
Photo from Wikipedia
その後1970年代中盤には、友人のチェット・アトキンスの勧めでナッシュビルに引っ越し、アコースティック・ギター用のFT-145、初のシングルコイルサイズ・ノイズフリーピックアップであるシングルブレードのL-220、ツインブレードのL-90、L-500 といったピックアップを生み出します。
Photo from http://www.billlawrence.com/
1990年代以降は、妻であり素晴らしいピックアップ製作者でもあるベッキーとともにL-280 ノイズフリー・シリーズを開発。
またフェンダー社とコンサルタント契約を結び、エレキベースのロスコー・ベックモデルや、サマリウム・コバルト・ノイズレスピックアップ(SCN)の誕生に関わっています。
ビルのピックアップは、現在もWildeUSA と Keystone ブランドの2種類がWilde Pickups で販売中です。
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以上が公式バイオの抄訳です。個人的には初めて購入した交換用PU がL-500 という思い出もあり、ただただ残念です。心よりご冥福をお祈りします。
最後にビル・ローレンス氏ご本人のプレイ動画をご紹介。2012年のNAMM なので御年81歳。素晴らしいプレイです。
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