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2013/11/09

訃報:ビル・ローレンス、享年82


ピックアップデザイナーとして世界的に著名な Bill Lawrence 氏が亡くなりました。享年82歳。公式サイトのトップに奥様によるメッセージが掲載されていますのでご紹介します。


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2013年11月2日の午前9時20分頃、私達の深い悲しみとともにビル・ローレンスがこの世を去りました。

ビルは強く勇敢で、この世を去る数日前まで生きようと戦っていました。また彼は音楽、ピックアップ、ギター、そして人生について話していました。私達はこれからも働き続けます。そして彼の残した会社と遺産は、これからも生き続けます。

私達は彼の驚異的な強さを失ったことを悲しむでしょう。彼は多くのものを生み出し、またこの地球に貢献し続けたいと願っていました。

昨日は後継者の指名のために必要な書類の準備をしました。ビル・ローレンスの名誉と希望の下、我々人類はひとつです。

葬儀は2013年11月8日(金)の午後3時に、カリフォルニア州オレンジカウンティのFairhaven Memorial Park にて執り行います。

Love, Becky
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続けて公式サイトのバイオグラフィの抄訳を掲載します。
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ビル・ローレンス、本名Willi Lorenz Stich は、1931年3月24日にドイツのケルンで誕生。

10代の頃、自作のロケットプロペラ付き自転車で負傷したことをきっかけに、演奏する楽器をヴァイオリンからギターに変更。

そのプレイのあまりの速さに『ホット・ビル』と呼ばれるほどの技術を身につけます。また17歳の頃にはすでにピックアップを自作していました。

1950年代に入ると、欧州の米軍基地でハンク・ウィリアムズやサム・クックといったスーパースターと同じステージに立ち、ギタリストとしての名を高めます。

その結果、ドイツのギターメーカーであるFramus Guitars とエンドース契約を結び、同社初のシグネチャーモデルが発売されることとなりました。

その後プロギタリスト『Bill Lawrence』として知られるようになったWilli は、1960年代初頭、ついに愛して止まないフェンダーとエンドース契約を結ぶに至ります。


また1960年代中盤には、2人の仲間とともにLawrence Electro Sounds 社を設立。ドイツのギターメーカー向けにエレキギター用ピックアップの製造を開始します。

さらに1960年代後半には、アメリカに移住してエレクトリック・ピアノを開発し、スティービー・ワンダーやマイルス・デイビスが使用するなど成功を収めます。

その頃の実習生には、DiMarzio の創業者ラリー・ディマジオや、当時10代の子供だったケント・アームストロングがいました。

(著者:ケント・アームストロングの父は、アンペグが販売したプレキシガラス製ギターの開発者であり、製品名でもあるダン・アームストロング。当時ビルとダンはともにグリニッジ・ビレッジ在住で、このギターのピックアップはビルが製作しました。)

Photo from Wikipedia

するとビルの仕事に目をつけたギブソン社が入社しないかと持ちかけ、それに応じたビルは、カラマズーファクトリーでユニークなL6-S ギターやリッパー・ベースを開発しました。

その後1970年代中盤には、友人のチェット・アトキンスの勧めでナッシュビルに引っ越し、アコースティック・ギター用のFT-145、初のシングルコイルサイズ・ノイズフリーピックアップであるシングルブレードのL-220、ツインブレードのL-90、L-500 といったピックアップを生み出します。


1990年代以降は、妻であり素晴らしいピックアップ製作者でもあるベッキーとともにL-280 ノイズフリー・シリーズを開発。

またフェンダー社とコンサルタント契約を結び、エレキベースのロスコー・ベックモデルや、サマリウム・コバルト・ノイズレスピックアップ(SCN)の誕生に関わっています。

ビルのピックアップは、現在もWildeUSA と Keystone ブランドの2種類がWilde Pickups で販売中です。
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以上が公式バイオの抄訳です。個人的には初めて購入した交換用PU がL-500 という思い出もあり、ただただ残念です。心よりご冥福をお祈りします。

最後にビル・ローレンス氏ご本人のプレイ動画をご紹介。2012年のNAMM なので御年81歳。素晴らしいプレイです。

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