幻のドライブペダルClay Jones OD の作者クレイ・ジョーンズが、友人であったJohn Landgraff とBob Burt、そして日本のブティックペダル市場の始まりを語ります。前篇とあわせてどうぞ。
これは「アイドルメーカー」(訳注:ボブ・バート)にとっての夜明けでもあった。薄々わかってはいたが、彼は私という新しいガチョウを見つけたのだ。
「このクソを瓶に詰めて売りまくれ。私はやり方を知っている」
彼が1度この言葉を言えば続けて100回は聞くことになる。ありふれた、どことなく恩着せがましい、月並みな言葉だった。
彼が私のガレージに来たので自作の改造ペダルを見せようとしたが、彼には別のアイデアがあった。
彼は私には可能性があると言った。私には「道案内が必要」で、「人生を組み立てる必要がある」と力説した。
彼によれば私の人生は「組み上がっていない」らしい。このシンプルな言葉は、私がビジネス上の関係と友情を間違えて受けとめていたことを認識させた。
その言葉は幾度となく繰り返された。つまりは「そのクソを組み立ててペダル商売を始めろ」ということだ。
私はとある素晴らしいギタリストへペダルを作って欲しいと頼まれた。私はそのギタリストを知らなかったが、アイドルメーカーが手はずを整えたのだ。
私は新しい「特別な」ペダルをアイドルメーカーのボードのために作った。そう、私は作った。ガチョウがオリジナルだと言った部品を3つ変えただけのTSを。アイドルメーカーが完全に違って新しいと言ったペダルを。
また私はワンオフペダルの棚から2つをそのボードに入れた。すべて無料だ。その素晴らしいギタリストは3つの中から1つを気に入って選んだが、私は3つすべてを彼に譲った。
彼がどれを選んだのかなど全く興味はなかった。私は歩いた。人生は進む。すべてが退屈なほど普通だった。
それから半年ほど経った後、トーンフェスティバルとか言うサクラが集まるイベントでそのペダルは披露された。
製作者は?「ゴーマーパイル」と素晴らしいギタリストは答えた。そこへアイドルメーカーが現れて注文を取り始めた。
彼はゴーマーを知っている。彼はゴーマーと君を結びつけてくれる。ついに彼はこのゲームに参加したのだ。プレイヤーは彼だ。
彼は私に準備は全て整ったと言い、このチャンスを無駄にしてはいけないと言った。私には人生を組み立てる必要があると。
私は「ノー」と言った。彼はプッシュしてきた。私は再度「ノー」と言ったが、彼も再度プッシュしてきた。このやりとりは私が根負けするまで続いた。
彼は勝ったが完勝ではなかった。私は「1度だけ、50台だけ作る。それで終わりだ」と言った。
当時も今も私の考えはシンプルだ。もうこの世界に新しいODペダルは必要ない。私はペダルに人生を捧げるつもりは毛頭なかった。
インターネット上であらゆるペダルの回路が無料で簡単に見つかるのだ。欲しいペダルの自作法や改造法を学べるし、TS系ブティックペダルの回路はどれも大差ないことがわかるはずだ。
もし君がTS系ペダルの違いを聴き分けられると言うなら、君がこれまでに得た情報を再確認する必要があるかもしれない。
自分が使っているものが本当は何なのか知る必要がある。ステマゲームについて学べば大金を無駄にせずにすむ。
宣言通り私は50台を完成させ、作るのを止めた。値段が高騰したようだが理由は知らない。
アイドルメーカーは我慢できない様子だった。彼はイラついていた。確かに私はチャンスを逃さなかった。しかし(訳注:その後ろに控えていたさらなる)チャンスは逃げていった。
私は(訳注:楽器系BBSに)「初めから50台という約束だった」という内容の投稿をして台無しにしたのだ。
アイドルメーカーがスパムサイトのエフェクター板に提灯投稿をしたので私は止めるように言った。私は約束を守った。それ以外のこと(訳注:価格の高騰)はまったく意図していなかった。私は首謀者ではない。
私は利益の大半を寄付した。またある2人の男が、私のペダルをプレミア価格で売って得た利益を返すと申し出てきた。私はそれを断り、代わりに寄付するよう頼んだ。1人はアルツハイマーの、もう1人は火傷を負った子どものための病院へ寄付した。
彼らが送ってきた領収書は今も私の手元にある。私にとって彼らやその他数人の正直な人々は、醜い人々の中に射した希望の光のような存在だった。
当時の私が今の私と同じ情報を知っていたなら、私のペダルを本当に気に入って手元に留めておきたいという人達に対し、10台程度のペダルを作って無料で渡しただろう。
私は心半分で、アイドルメーカーがあの楽器店のオーナーとともに進めていたアイデアに乗った。
それは単なる好奇心以上に魅力的なエサで、私はそれに食いついたのだ。私はかんたんにカネを稼げるということに戸惑い、自分の行為に疑問を抱いた。
オーナーは日本とのコネクションを持っていた。彼はガチョウのペダルで稼げなくなったので、「我々」でゴーマー・エフェクツを立ち上げ、日本市場に持ち込むことにしたのだ。
彼らは腹を空かせて待っていた。私はただ名前を貸すだけでよかった。私はただペダルを作りさえすればよかった。
どのペダルを?彼ら2人にとってそんなことはどうでも良かった。彼らは一切を知らないか気にしていない様子だった。
アイドルメーカーは私が数年前に作った2台のペダルにご執心だった。ひとつは改造されたDOD Vibrothang。彼はこのペダルに狂喜し、「このクソを瓶に詰めて売りまくるんだ、息子よ」と言った。彼は私を息子と呼ぶようになっていた。
私はどうでもよかった。実際そのペダルは私のものではないのだから。
(Image from Smoking tip)
もうひとつはオプティカルコンプレッサーだった。彼はそれをとても気に入っていた。
しかし残念ながらそのペダルを動かすには18ボルトの完全なバイポーラ電源が必要だった。チャージポンプで昇圧した電源では動かず、消費電力も大きかった。
そのコンプは私のお気に入りで、ジャック・オーマンとミッドウェスト・アナログによるアンダートン・コンプレッサーの再生産品に極めて近い回路を持っていた。
「ん?なんだって?」とアイドルメーカーは言った。「それが何なのかなんてどうでもいい。このクソを瓶に詰めて売りまくるのだ、息子よ」
1か月かけて我々は少量の「瓶に詰められたクソ」を積み上げた。それらはオーナーの店から日本の代理店へ渡り、日本で「ゴーマー・エフェクツ」として売られるのだ。
それぞれがカネをむしり取っていた。彼らのうち誰一人として、1ミリたりともそれを気にかけている人間はいなかった。それがビジネスだった。
私はオーナーとアイドルメーカーに挟まれて座っていた。テーブルの反対には日本から来た2人のコネクションが座っていた。計画は固まったのだ。
日本から来た彼らが本当にナイスガイだったことは言っておかなくてはならない。極めて礼儀正しく、素晴らしい対応だった。彼らは一切の嘘やまやかしなく、大きな尊敬とともに私を扱った。
しかし私には分からなかった。私の疑問はシンプルだった。なぜ私なのだ?さらに言えば、なぜコレなのだ?なぜ日本人が30年前に生み出した回路に、本物のエンジニアと電子回路の専門家が作り上げたものにここまで注目するんだ?なぜあなたたちは、あなたの国の回路を盗んだアメリカ人に大金を払うんだ?
さらに悲しかったのは、彼らのうち年配の方(もう1人はペダルテスターの若いギタリスト)はそのことを知っていたが、誰一人として直接そのことを彼に尋ねたものは居なかっただろうことだ。彼は少し困った様子だったが、当時の日本の状況について語ってくれた。
彼の話をまとめると、日本の若者は我々米国人と同様プロパガンダに踊らされているということだった。日本の若者は自分の父親たちが今日の楽器産業を形作ったことを知らないのだ。彼らはガチョウのような人間が提供するものをまったく新しいものだと思っていた。毒は効果てきめんだった。
誰かを激怒させるモノが転がっているのはFreestompboxes.orgだけではないのだ。
私は不承不承ながら同意し、ディナーは終わった。私は新しいガチョウになった。
次の日の晩、驚いたことに日本人2人が私のギグにやってきた。さらに驚いたことに初代ガチョウも一緒だった。我々はジュンという若くて素晴らしいギタリストとともに座った。
彼は帰る前に私のボードを見ていった。彼はパッと見ただけではどんなペダルか分からない代物ばかりの私のボードを気に入ったようだった。
その中でも特に彼の目を引いた「ペダル」があった。それはとある6つの回路を直列で繋いでケーキの型に収めたものだった。私が木製の蓋を外して見せたところ、若いギタリストの目は大きく広がった。
「ダンエレクトロ?」Yeah, Man...ダンエレクトロのミニペダルさ。私にとって歪み系以外のすべてのダンエレクトロペダルが興味深かったのだ。「うおー」彼は言った。「いい音!」ああ、もちろんさ。
彼は私の分解され、改造され、トゥルーバイパス化され、大量のトグルスイッチが付いたPeavey Hotfoot Distortion -トータルコスト28ドルの私のRat、個人的なMo-D- も気に入った。彼がそれを欲しがったので譲り、彼はそれを日本へと持ち帰った。
翌日私はアイドルメーカーに彼らとの交流について話した。彼の反応は…
「よし息子よ、これが我々のペダルのラインナップだ。お前はそのクソを瓶に詰めて売りまくるんだ」
(Image from Studio 1525)
これがこの物語の結末だ。
日本人とのミーティングは2007年1月のことだった。そこでは私がすべての「ラインナップ」を作り続けることが求められた。
「製品」は5月発売。どんな「製品」を作ればいいんだ?誰も気にしていなかった。そんなことはどうでもよかった。ただ作りさえすればよかった。
私は何も作らなかった。アイドルメーカーは私を煽った。私は真剣に取り組まねばならなかった。人生を組み立てる必要があった。私は周囲の人々を困らせ、時は刻々と過ぎていった。
進まない作業と人生計画のなさについて1週間に渡ってアイドルメーカーに困らされた後、私は手描きの回路図と改造図面 -汚れて、適当で、未完成な- をその辺にあった封筒に詰めて、友人が借りた自家用飛行機PA28 Piper Cherokee に飛び乗った。
(Image from Wikipedia)
私はアラバマで降りて工業デザイナーに会い、友人はナッシュビルの家族に会った後に私を拾って帰る予定だった。
目的の飛行場で降り、車を借り、ホテルを取って図面のエンジニアに会った。彼は忍耐強く協力的だった。1000ドルを払って1日半後、私のショボい手書きの回路図は、工場での製造に使えるプロレベルの図面になっていた。
これで残りの私の仕事は図面を最終確認することのみとなった。いちど図面を工場に出せば後戻りはできない。どんな些細な間違いでも大問題になるし、図面の修正も必要になる。
私はホテルで3日過ごした。友人に問題が発生して到着が遅れているのだ。
その3日目、私はすべてのアイデアを捨てることを決めた。永久に、きっぱりと。
私は「計画」に従って生きることはできない。それは常に私を追い立てる。それは見え透いた嘘なのだ。私は他人がデザインしたペダルを、ペダルに興味がなく私を好きでもない人間を通して売ろうとしている。
私は単なる新しいガチョウなのだ。過去6か月の計画は台無しになり、それは私が勝手に友人だと思っていた人々を不幸にした。
この商売は詐欺で、私の会社は嘘つきと詐欺師の集まりだった。もちろん彼らはそんなことは微塵も考えていなかったが。
彼らはビジネスマンで、ビジョンがあり、プレイヤーになり、権力者になるのだ。彼らは人々が求めるサービスを提供する。彼らはプロなのだ。
すべて戯言だ。すべてが完璧に純粋なビジネスマンの戯言だ。彼らが何を売ってきたかは知らないし興味もない。彼らは羊を見つけて毛を刈り取るだけなのだ。
結局アイドルメーカーは代わりの人間を見つけたようだった。彼はそうする必要があった。6か月前、私がテスターを使ってケーブルを確認している姿を不思議そうに眺めながら「このピーピー鳴ってる音は何だ?」と聞いてきた男なのだから。
彼は自分をガチョウに仕立てあげたのだ。彼にはそうする自由がある。そして私にはそれを無視して別の場所へ行く自由がある。彼は私との繋がりを無かったことにするだろう。
彼の人生が実り多きものにならんことを。
2011年9月2日
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抄訳は以上です。原文の一部を省略しているので、興味のある方は下のリンク先へどうぞ。
さて内容をざっくりまとめれば、良くも悪くも純粋な技術者が、カネの匂いに敏感な商売人に取り込まれ、幻滅し、別れたというお話です。
技術者のクレイと、商売人のランドグラフ、バート、楽器店オーナーは、それぞれ全く異なる常識を持っており、それらは相容れるものではなかったということが分かります。おそらく今でも双方ともに自分は正しいと思っていることでしょう。
また投稿からはクレイ氏の怒りや悲しみが伝わってきますが、これはそんな感情を抱えた人間が一方的に書いたものだということを理解して読む必要があります。
そんなクレイ氏はこの投稿で、「改造品は改造品であり、オリジナルと称して売るべきではない」と言っています。
しかしながらビルダーに改造品か否かを公開する義務はなく、実質的に改造品なペダルをオリジナルと称して売っているビルダーはランドグラフ以外にも存在します。
そんなビルダーの行為は他人がどうこうできるものではありません。しかしユーザーはビルダーを選べます。
ペダルの出自を明らかにするビルダーとしないビルダー。オリジナルの開発者に敬意を示すビルダーと黙って盗むビルダー、と言えるかもしれません。
ビルダーの人格とペダルの良し悪しは無関係ですが、入れ替わりの激しいペダル業界において、正直な仕事をしているビルダーに生き残って欲しいところではあります。
その確認にはメーカーの公式発表と言える製品ページを見るのが手軽で確実です。日本の代理店はメーカーと異なる説明を掲載することがあるので、メーカー本家のHPを見ることをオススメします。
Gear Otaku: Mad Professor 「Sweet Honey OD はダンブル系ではない」
海外メーカーの場合は多くが英語で書かれていますが、ギターやエフェクターに興味があればなんとなく分かる内容なことがほとんどです。
最後に登場人物について。
楽器店のオーナーとは、当時から現在まで米国内のランドグラフとボブ・バートの代理店を務めているBlues Angel Music のオーナーのことと思われます。
クレイ氏の3台のペダルを受け取ったギタリストはおそらくトモ藤田さん。トモさんはアイドルメーカーことボブ・バートのキャビネットも使用していました。
クレイジョーンズのペダルは日本で売ることが目的だったため、日本人ギタリストに渡すのは必然だったのかもしれません。
mixi: あなたのベスト歪みペダルは?
(トピ主がトモさん。投稿#973でオリジナルのCJODを2台持っていると書いています。ログインせずに閲覧可能です。)
日本のコネクションとは、2010年末に閉店した神奈川県のタハラ楽器と思われます。当時タハラはLandgraff やKeeley、Timmy (Paul.C)の代理店で、その強烈な価格設定によって日本におけるブティックペダルの基準を作った会社のひとつでした。タハラが代理店をしていたメーカーの多くはイケベ楽器店が引き継いでいます。
ちなみにランドグラフの特徴といえるケースの塗装は、当時クルマの塗装屋だったアーロン・プリンス氏によるもの。プリンス氏のサイトにはランドグラフ一家の写真も掲載されています。
またブティックODペダルの最高峰に位置するケンタウロスの作者ビル・フィネガン氏へのインタビュー抄訳もあわせてどうぞ。
Klon Centaur のビルダー Bill Finnegan インタビュー。折りたたみテーブルの上で生まれた329ドルのペダルの歴史
原文:Freestompbox.org - The Goose, the Middleman, the Idolmaker and Gomer Pyle.
Top Image: Blues Angel Music
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