米国のギター雑誌 PremierGuitar.com が、ギター用エフェクター Klon Centaur (クロン ケンタウルス/ケンタウロス)の製作者Bill Finnegan 氏にインタビューを行いました。
当ブログではPremierGuitar の許可を得て、その一部を翻訳してご紹介します。翻訳は続きへ、原文はPremierGuitar.com の該当ページへどうぞ。
This post is an abridged translation of an interview with Bill Finnegan who is well known as a builder of Klon Centaur. Original article is made by PremierGuitar.com. They give me permission to do this. Thank you so much, Shawn!
ボストンでバンドのギタリストとして活動していた1980年代、ビル・フィネガンはテレキャスターと Fender Twin Reverb を愛用していた。
大きなクラブではボリュームを6から7まで上げられたが、小さな会場では3.5から4が限界だった。小音量でも良い音ではあったが、音量を上げた時のリッチなハーモニクスは失われていた。
その後1990年代に入ると、当時生産が終了していたIbanez Tube Screamer を多くの人々が必死に探し求めていた。そんなとき、ある男が2台のTS9 を売りに出していると聞いたので訪ねて行き試したが、自分が求めているサウンドではなかった。
TS9 はコンプレッションが強く、ギターの原音が持つ過渡特性を潰しすぎていたし、中域のキャラクターも好みではなかった。また低域のレスポンスも明らかに減っていた。
その男はTS808 も持っていたが売りに出してはいなかった。それも試したところTS9 よりは好印象だったが、やはり自分の求めるサウンドではなかった。
フィネガンが求めていたのは、聴いた人がペダルを繋いでいることに気づかないような、ビッグでオープン、そして真空管がクリップする感覚が得られるサウンドだった。
そこでそれらの条件に合うペダルを作ろうと思い、MIT (マサチューセッツ工科大学)の電気工学科を卒業したばかりの友人を誘った。フィネガンと友人は共にフルタイムの仕事に就いていたため、はじめの2年間は週に1度だけ会っていた。
1年目に作成したプロトタイプは、フィネガンが求めていたサウンドに肉薄していた。またボストンエリアの多くのギタリストが購入を希望したが、フィネガンは回路に改善の余地があると考え、友人とともに作業を続けることにした。
しかしその友人が郊外に家を購入したため互いの物理的な距離が離れてしまい、共同作業が困難になった。そのためフィネガンは、前任者と同じMIT 卒で、才能と情熱を持ったフレッド・フェニング*を新しいパートナーとして選んだ。
*訳注:残念ながらフェニング氏は90年代中盤に飛行機事故で亡くなっています。
フェニングはオーディオ回路の設計経験がなく、音楽にも全く興味がなかったが、フィネガンの考えを回路に落としこむのが並外れてうまかった。フィネガンは「ケンタウルスとその後継モデルKTR の両方の回路において、フェニングは多くの賞賛を受けるべきだ」と述べている。
そして4年半におよぶ開発の末、1994年末にKlon Centaur は完成した。組み立て、テスト、出荷を一人でおこなうフィネガンは、次々と舞い込んでくる注文への対応に追われることとなった。
製造に時間がかかる複雑な製品にもかかわらず、増え続ける需要に対応しつつ納期を短縮するために、彼は週に55時間から60時間をCentaur のために費やしていた。
また筐体やノブ、ポット、シートメタルの底などはすべてCentaur 専用に作ったため、製造コストは高額になった。フィネガンは、Centaur で専用部品を多用した結果、市販の部品で製造した場合と比べて約7倍から8倍のコストが掛かったと見積もっている。
「Centaur の製造期間の最後の7年間、定価は329ドル*だった。正直に言うと、私がCentaur で得た利益は(訳注:中古のケンタウルスが1000ドル以上で売られていることを考えると)適切ではなかった。自分がやっていることと、それに対して受け取ったものについては何度も考えた。ボストンでは賃貸物件は少ない上に賃料も高額なので、人を雇って規模を大きくしたり、実店舗を構えることは不可能だった」
*訳注:発売当初の定価は239ドルで、その後279ドル、329ドルと値上げしています。
小さなアパートのチープな折りたたみテーブルの上で、フィネガンは約8000台のCentaur を製造した。彼の努力に対する控えめな報酬と、1台の製造に12週から14週かかるために中古品の価格が高騰する中、高額な中古の購入を拒み、より安価な新品の購入を求める人々の声は大きなストレスだった。この状況を続けることは不可能だということが、次第に明らかになっていった。
「私はそれを殺す必要があった。それが私を殺す前に」
2008年、フィネガンは以下の条件で一から再設計を始めた。
・技術のある契約工場が、簡単かつ高品質に製造できるようにシンプルな構造にする
・丈夫で高い信頼性を持つ製品にする
・配線を使わない
・交換を容易にするため、フットスイッチを(メイン基板から)独立して搭載する
・サイズをコンパクトにするため、もっとも重要なクリッピングダイオードを除いてSMT (表面実装部品)を使う
また彼は、慎重に選んだ部品と洗練された回路によって、Centaur と完全に同じサウンドを持つ後継機が作れることを証明したかった。
「これは大きな挑戦だった。私とアシスタントのジョン・ペロッティは、求めるサウンドに辿り着くために、ほぼ2年をかけて様々なSMT へ耳を傾けてきた」
最後に彼は、新しいペダルの見た目を特徴的なものにしたかった。一般的な筐体を使用するペダルには難しい挑戦だ。
また新しいペダルに追加したかったのが、フットスイッチをトゥルーバイパスとオリジナルのCentaur と同じバッファードから選択できる機能だ。
「バッファなしの場合、ギターケーブルの持つ静電容量によって明らかにシグナルが劣化するが、それを好む人もいるので追加したかった。その切替回路は、Timmy やTim といったペダルのビルダーとして知られる、友人のPaul Cochrane が設計してくれた。彼には感謝しなきゃね」
KTR の完成には長い時間が必要だった。フィネガンは、想像していたよりも遥かに難しかったが、目標に掲げたすべての項目を達成できたと感じている。
「Centaur と同じサウンドで大幅に小型化できた。より安価で、Klon らしさも備えている」
彼は笑って続ける。
「"Klon らしさ"とやらが何であれ、ね」
以上、元記事の2ページ目、「He laughs, “Whatever the Klon thing is.”」までを抄訳しました。
元記事ではCentaur のバージョンによる音の違いの有無など、Centaur にまつわる数々の噂についてもフィネガン氏が回答していますので、ぜひチェックしてみて下さい。
なおCentaur とKTR の違いについては、フィネガン氏が語っているとおり基板の見た目は全くの別物です。各ペダルの内部画像は、Google 画像検索でKlon centaur gut (gut = 内臓)や Klon ktr gut で検索すると多数みつかります。
下はビル・フィネガン本人によるKTR 解説動画。オリジナルCentaur の製作時に使用したジグなども披露しています。
また余談ですが、Centaur の発音について。日本では「ケンタウルス」や「ケンタウロス」と呼ばれることが多いようですが、英語圏では「センター」が一般的なようです。
Photo: Wikimedia Commons
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